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2004.07.14

タチアオイたちたちたちの日々々

日々是増殖。

 しつこくトリフィドの話。といっても、今回はトリフィド自体ではなく、ゾンビとのコラボレーション(違)。

 ゾンビというか、『Dawn of the Dead』の Dead あるいは Living Dead と、映画版トリフィド……つまり『人類SOS』で映像化されたトリフィドの関係の話だ。

 どっちも人間を襲って食う怪物という点で共通していて、こういう怪物の元祖がトリフィド、その発展形態がリビングデッドといっていいと思う。ただし、それぞれの原作がつくられた1951年(ウィンダムの『トリフィドの日』)、68年(ロメロの『Night of the Living Dead』)という時代ギャップのせいか、トリフィドよりリビングデッドのほうが「進化」している。つまり、トリフィドはそのままでは動きが遅すぎて人間を襲えず、人類の目が見えなくなったところに乗じて勢力をひろげたわけだが、リビングデッドは動きこそ遅く、ぎごちないものの、数にものをいわせてどんな人間でも襲え、さらにそれを味方というか、同類にできる。この「進化」が大きくて、リビングデッドはキング・オブ・モンスターの仲間入りをはたした。

 反面、この「進化」のせいで、ストーリーの「救いのなさ」かげんも、後発のリビングデッドではより絶望的になる。『トリフィドの日』には、いろいろな意味・かたちで救いがあった。だから、名作SFに数えられるわけだ。対して、『Night of the Living Dead』はエポックメイキングな作品で、私はこれも好きなんだけど、とりあえず名作とは呼ばれないよね。『Dawn~』にしても同じ。この「救い」というもの、小説にしろ映画にしろ……どんな作品にとっても、やっぱりたいせつなものだと思う。たとえホラーでも。

 そういや、その昔、「いっさい救いのない」作品ということで『人類皆殺し』(トマス・M・ディッシュ)って小説があったな。あれはあれで、そこそこの出来だったけど。

 閑話休題。年とると大昔の記憶が急によみがえったりする。(^_^;)

 さて、今年はその『ゾンビ』のさらなるリメイク『ドーン・オブ・ザ・デッド』が公開された。この作品でリビングデッドはさらに「進化」して、正常な人間と同じか、それ以上の運動性を獲得し……つまり走れるようになり、「救いのなさ」かげんは頂点に達して……その結果、ろくでもない仕上がりになってしまった。

 制作側が気にしていたという「走るゾンビ」のコンセプトは、これはこれでいいと思う。映像的には、むしろよかった。だけど、「救い」のほうがどうしょもない。こういう映画はホラーを衰退させるだけだから、つくらないほうがいいね。ま、ロメロの息がかかっていない作品だから、しょうがないともいえるけど。

 それにしても、スタッフは制作にかかる前に、元祖『人類SOS』を見てほしかった。そうすれば、ホラーでも心にのこる名作がつくれるんだということがわかったはずなのに。『Night of the Living Dead』の系譜につながる作品だけに残念でならない。

 ところで、これ、5月にロードショーで見ちゃったんだよね。救いがないな~ >自分。(;_;)

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