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2004.12.15

私の前をとおりすぎていったPCたち2-2

 そーいうわけで、1996年秋に2号機を導入すると、それまでの「月1の再インストール」とか「1時間単位のデータ・バックアップ」から解放されて、ストレスなく使える時代がやってきた。当初、バンドルされてたのはWin95 OSR2だっけ? そのあたりでは必要充分だったのだ。

 ところが、PCの進化は早い。翌年、PC97規格が発表されて、それに準拠したパーツが出はじめると、だんだんPC9821-Xa16/W30の「つるし」のスペックじゃ対応できない局面が出てくるようになってきた。そして、Win98の時代がやってくる。

 メモリ32MBじゃぜんぜんたりなくて、64MBに増設し、CPUもMMX Pentium 200MHzに換装せざるをえなくなっちゃった。気がつけば、PCのなかにファンがまわってたり、新しくしたHDDがものすごい音をたててたり……そこで思い浮かべたのが、「ドリルがまわってとっても強いぞ……」というフレーズ。いや、知ってる人は知ってるってやつでね、こいつが。(^^)

 で、改造をつづけたPC9821-Xa16/W30は、いつしか「轟天」と呼ばれるようになっていたのであった。(^o^)

 正確にいつから「轟天」になったのかは、もうおぼえていない。だけど、このマシンは改造をかさね、増設をくりかえし、NECの98マシンとしてはつねに最先端よりちょっと下だけど、コストパフォーマンスにすぐれた強豪マシンっていう位置づけをたもちつづけたのである。すくなくとも、個人的にはそう思ってる。

 たとえば、最初のスキャナ、SHARP JX-250を導入した当初は、スキャンしてる最中にメモリがあふれてハングしちゃう、なんてことが、それこそ数十分に一度くらい発生したりして。それがメモリ不足によるものだとつきとめて、メモリを増設して……っていうのを、ぜんぶ手探りでやってたんだよね。

 このころの経験が、やがて次のステップである「血を吐きながらつづけるマラソン」(@ダン)にひとしい【自作】への道をたどる原因になったわけである。

 または、「PCは高価でむずかしい機械」から「PCなんておもちゃだぜぃ(ただし仕事で不可欠だけど)」っていう認識に変わっていったともいえるか。

 実際、マザボとFDD以外は、ぜんぶ1度以上は交換したわけで、こうなると自作のほうが早いし安いっていう認識になっていくのは必然だったのだ。

 そしてそして、Win98がリリースされると、ついに運命の出会い、「AMDとの邂逅」という一大イベントが待っていたのであった。(つづく)

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